【鈴木子音】日本、中国、アメリカでの生活を通してー日本をもう一度好きになってもらいたい

suzukishion

<鈴木子音/Shion Suzuki>

IMG_7562回は、日本と中国にバックグラウンドを持ち、アメリカの高校を卒業後、大学在学中に自ら塾を運営したり、フィリピンに新規事業を立ち上げに行ったりと、積極的に様々なことに取り組んできた、元気でパワフルな鈴木子音さんを取材させていただきました!


—色々な国にバックグラウンドを持つ子音さんですが、どんな幼少期だったんですか?

父が日本人、母が中国人です。父は、実業家で、とてもファンキーな遊び人でした。小さい頃、よく、父とキレイなお姉さんと3人でデートしていた記憶があります(笑)母は外資銀行でバリバリ働いていて、気づいたら家庭が崩壊しました(笑)4歳まで両親と一緒に日本で過ごし、その後、4歳から~13歳までは、中国の母方の祖母や親戚の家で暮らしていました。中学校3年間だけ日本に帰ってきて、また16歳から、ニューヨークに一人で留学しにいきました。大学から日本に戻ってきて、慶応義塾大学法学部に9月入学し、先月無事に卒業できました。

—生い立ちインパクトありますね!(笑)環境が変わる生活は、大変ではなかったですか?

結構、環境の変化を楽しんでいました。中国国内でも、北京、上海、香港、アモイと、色々なところに住んでいました。日本人から見たら、「中国」というと、どこも同じように思うかもしれませんが、その土地によって、全く違うんですよ。新しい場所で、友達も増えるし、食べ物も変わる。全部が新鮮でした。そのせいか、今も、ずっと同じ場所にいるとすぐ飽きちゃうんです(笑)

shionsuzuki4

小さい頃から、自立していたんですね。

いつも、人の家に住んでいたので、今振り返ると、すごく気を遣うのが上手な子供だったと思います(笑)好かれたほうがなにかと便利なので、小さな頃は上手に猫をかぶって、「人に迷惑かけないように」心がけていました。なので、自分のことは全部自分でやる、ということを、小さい頃から習得していたように思います。

日本と中国の学生生活はどう違いましたか?

小学校上がる時から~中1まで、中国のインターナショナルスクール、日本人学校と現地校にそれぞれいた経験がありますが、現地校は日本と比べて勉強量が圧倒的に違うと思います。日本の小学生って、背負っているランドセルの中にあまり教科書が入っていない、みたいなことがあるじゃないですか(笑)中国は、小学生でも、1教科につき、教科書、資料、問題集、最低3冊は入っていて、授業の時間も日本より長いんですよ。授業は、朝8時から始まるですが、「自由自習」という名の「強制自習」が朝7時からあり、だいたい、夕方5、6時まで授業と復習の時間があります。中学生になると、試験前は、夜8時まで学校にいます。しかもテスト前になると「音楽」や「美術」などの授業が暗黙のルールで「数学」や「国語」に変わります(笑)

また、学校から帰宅すると、毎日3~4時間程、宿題に費やします。いかに、この時間を短縮するか考えてました(笑)中国で、みっちりと基礎教育を受けさせてもらったので、今でも、当時培われた集中力と作業力がとても役に立っています。

逆に、日本に帰ってきてびっくりしたのは、みんなすごく歌が上手だし、きれいな絵が描けるし、体育でも、色々な種目ができることです。中国ではプールがある学校は、インターナショナルスクールくらいで、ほとんどの学生は水泳のレッスンを受けたことがありません。

shionsuzuki2

アメリカの高校では、どんな生活をしていたんですか?

ニューヨークにある慶應義塾大学の付属高校に通っていましたが、私の高校の大きな特徴は、「イベント」がやたらに多いことです。

部活はシーズン制なので、春/秋/冬でそれぞれ違う部活に入れるほか、生徒が主体となって開催される大きなイベントが1ヶ月1回くらいあります。9割の学生が寮生活をしているため、みんな何かしらに何かに関わっていました。

私は女子サッカー部とラグビー部のマネージャーのほか、文化祭の企画と運営、学校内の広報紙とイヤーブックの制作をしていました。様々なことに関わっていると色んな人と仲良くなるし、自分のアイディアを形にする過程も、とても楽しかったです。

—子音さんは、チームを引っ張って行くのが上手なんでしょうね!人を巻き込むコツってなんでしょう?

まだまだ上手とは言えないですが、人と一緒になにかをする時って大概、みんなが「めんどくさい」と思うようなことをやってもらうと思うんですが、その「めんどくさい」を「楽しい」に変えるのが好きなんです。そういう環境作りを一番に心がけていました。あと、好奇心が強くて、人のことが気になっちゃうんです(笑)「この人、どういう人なんだろう。何が好きで、どんなことがしたいだろう」ってよく考えています。

大学でも、その経験は生きましたか?

高校が充実しすぎたせいで、大学に入って、もっと楽しいことをしないと「きっと私、後悔するだろうな」と思ったため、色んなことをしようと最初から決めていました(笑)

まずは、高校の仲間と一緒に起業するところから始まり、その後、フィリピンで新規事業の立ち上げに携わり、帰国後は、ウェブについての知識をもっと身につけたいと思い、日本で急成長2位のイケイケITベンチャーでの長期インターンを経て、今年の年始から正社員は社長1人しかいないドベンチャーでメディアの運営をしています。

その中で、特に印象に残っていたのは仲間と一緒に設立して、2年間運営していた慶応義塾NY学院受験対策の家庭教師派遣塾のことです。私にとって、「人に価値提供をして、対価をもらうこと」も「ゼロから事業を創り上げる」ことも全部初めての経験でした。高校卒業する前に、カリキュラムとパンフレットを作成し、卒業した翌月から集客をはじめました。最初に塾を始めたきっかけは「自分ができるビジネスをしてみる」、「仕組み化する」ことが目的でしたが、途中から色んな教え子に出会って目的が自分の中で変わりました。単に高校受験合格するためのノウハウを教えるのではなく、一人一人の人生に関わっているんだなと認識してから「起業した自己満足」から、その子たちの人生に少しでも多くの選択肢を与えて、プラスになるきっかけができたらいいなと思うようになりました。その時、初めて、他人に真剣に向き合って、深く関わることで、根本から人のモチベーションをあげることの大切さに気づきましたね。

—なるほど。子音さんならではのアイディアですね!

実は、その塾を運営してた2年間の間に卒業生からの紹介や口コミでお客さんは絶えることなく、合格率が9割以上あって、お客さんからの評判もとても良かったんです。沢山の生徒に関わることが出来て、自分にとって大変勉強になった経験でした。このまま続ける選択肢もありましたが、でもある日ふっと「やりがい」を以前のように感じなくなったと思いました。自分で中のどっかで、ただのルーチンを回しているように感じました。そこで新しいことをしてみたいと思って、フィリピンのなにもない場所で新規事業の立ち上げに、3ヶ月行くことにしました(笑)

suzukishion

思い切りがいいですね!

そうですね。フィリピンで新規事業の立ち上げにインターンとしていく理由はすごく単純でした。自分が塾を作った時の集客はウェブを一切使使えず、パンフレットのみの宣伝だったので、集客の限界がありました。フィリピンの会社のビジネスモデルが語学学校だったので、ウェブを使った集客をがっつり学べるのと、海が綺麗だったからです。だから最初は割とヴァカンス気分で行きましたね(笑)

ただ、実際行ってみたら、かなり泥臭い3ヶ月間でした。今はそこそこ知られている学校になってきましたが、私がいた時はまだオフィスも泊まる家も教える人もいない、「本当になにもない場所」で、サバイバルのような日々を過ごしました(笑)

今までは、何か新しいことを立ち上げたことがあっても、全部自分が分かること、できることをしてきたので、ある程度、思い通りにいっていました。しかし、ここでは、課せられたミッションを半分しかできなかったんです。「このままでは、全然だめだ。もっと勉強しないと」と思って、日本に帰ってから、某いけいけIT系ベンチャーで、半年間週5で、終電までインターンをしていました。

色んなことに挑戦されたんですね!その経験を通じて、何か変化はありましたか?

何が好きか分からなかったので、自分の興味の有無に関わらず、色んなことに関わってきました。変化というよりは、それを通して気づいたことは、自分は、ただ単に、数字を増やすことにはそこまで興味がないということです。数字で計れないものの方が興味あり、人の役に立つこと、そのために自分がすべきこと、自分だからできることをしたいんだということに気づきました。あとは、どんなことでも、一度関わったら最後まで全力でやったほうが絶対楽しいことというですね!

—社会人になるまで、あと半年ありますが、これからどのように過ごしたいですか?

今年から関わっている訪日外国人向けメディア「MATCHA」の運営と、四国の方と一緒にやっている地域活性化の活動を継続して行きたいです。創業期から関わっている「MATCHA」では、今まで企画PRと中国語版統括の仕事をしてきましたが、社会人になるまでにできるだけこの組織に多くのものを残したいので、先月から人事制度について勉強を始めて、今後は採用の仕事にも力をいれていきます。あとこの間地方にいった時、社長からの許可を取る前に勝手に市長に営業しに行ったらうまく自治体との案件が取れたので、地域向けのパッケージ商品も企画したいと思っています。(笑)

地域活性化プロジェクトのについては学生と社会人のメンバーと一緒に現地に長期視察いって、地域の人に貢献できる持続可能なビジネスプランを作っています。今年では四国活性化フォーラムと四国若者1000人会議といった地域活性化関連のイベントでプレゼンする予定です。

あとは、たくさん旅行したいですね。去年は2ヶ月に1回海外行っていましたが、今年の目標は国内を含めて月1回は旅行にいくことです。そしてやはり私は極度の飽き症なので、ずっと東京でサラリーマンをするというのはなかなか難しいと思います(笑)今のところ3週間ハワイ、1ヶ月間かけてアメリカを横断する、1ヶ月半ヨーロッパにいく予定を立てていますが、その間、東京にいるのと同じ量の仕事ができるか、ノマドライフの実験をしてみようと思っています。

shionsuzuki5

いいですね!子音さんは、自分のしたいことをどうやって見つけてきましたか?

確かに、今まで沢山のことを経験させてもらいましたが、「人生をかけてこれがしたい」というものは、まだないんです。でも自分が一番「わくわく」を感じる瞬間って、やはり「新しい価値観に触れ合う時」と「誰かの役に立てている時」なんじゃないかなと思います。まだ20代だし、これからまた沢山の仲間に出会って、今まで経験したことないことを経験しながら、自分がやりたいことを見つけていきたいですね。だからこそ、将来、今の自分よりもさらに楽しいことができるよう、自分の選択肢とできることを増やして、色々なことに挑戦したいと思います。

見つからない人は、どうしたらいいと思いますか?

人それぞれだから、やりたいことがなくても自分が楽しいのであればそれでいいと思いますが(笑)とりあえず、目の前のこと、自分ができそうなことに取り組むといいと思います。こればかりは、選択肢を自分で増やしていくしかないと思います。特に、比較的時間に自由のある学生の選択肢が、「アルバイト」「学校」「サークル」しかないのはもったいないと思います。自分の住む世界から一歩離れてみて、自分と違う人とたくさん会うことによって、色んな自分を発見できると思います。

もしかしたら、遠回りになるかもしれないけど、私はいつも、「正解なんてない」と思って行動しています。色々なことをやってみてから分かることもいっぱいあると思います。やりたいことがないと思うのであれば、ちょっとでも気になる!と思うことから始めていくことをおすすめします!(笑)

「自由に生きる」ためには、何が重要だと思いますか?

「他人の人生を生きないこと」ですかね。私も前は「人によく見られたい」「好かれたい」という気持ちがすごく強かったです。もちろん人間である以上、仕方ないことだと思います。でも、他人からどう思われるかって、自分でコントロールできることじゃないということに気づいたんです。他人のために、自分の気持ちを押しつぶしていたら、本当の自分じゃなくなっちゃうし、人生楽しくなくなっちゃうと思うんです。生き方は、人それぞれで、同じ生き方なんてないと思うので、自分で答えを見つけて、自分で動くしかないと思います。そうすれば、自分にとって納得いく人生になるんじゃないかと思っています。

—子音さんの、アイデンティティーを形成する要素は、何ですか?

3つあります。「ぶっとんでいる親」「常に変化する自分の環境」「刺激し合える友達」です。周りのおかげで成長できていると日々実感しています。私の両親は、毎日すごく生き生きしていて、とても楽しそうに仕事をしていました。そんな姿を見て育ったので、私も生き生きできる環境で成長していきたいです。

今後の野望を、ぜひとも教えてください!

野望ですか?(笑)沢山ありますが、今一番本気で取り組みしたいのは「日本の地域」と「世界」に繋げることです。現在日本のいい文化、いいものが毎年すごい勢いで無くなっています、それって、すごく悲しいことだなって思います。日本の地域に潜めている素晴らしい文化と産業を世界に、そして日本人にも知ってもらいたいです。そして、もう一度好きになってもらいたいです。そのために、絶対必要となる情報発信の仕組みや地域で持続可能性の高いビジネスを作っていきたいです。それができるためにこれからも沢山のこと学んでいかないとですね。あと、野望がどうかわからないですが、これからもずっと好きな人たちと一緒に楽しく仕事したいですね(笑)

shionsuzuki<鈴木子音/Shion Suzuki>
東京・南青山生まれ、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。高校卒業するまで中国の北京、上海、香港、アモイとアメリカのニューヨークで過ごし、大学時代は自ら学習塾を立ち上げるほか、複数のITベンチャー企業の新規事業の立ち上げに携わる。現在訪日外国人向けメディア「MATCHA」で企画PR・中国語版統括の仕事を行っている。日本の素晴らしい伝統文化を世界に発信するために日々勉強中。

  photo by 吁九志

1989年生まれ。北京大学国際関係学部卒業。株式会社Selan代表。インタビューサイト "belong" を運営。