経営のプロが語る!「幸せの定義」と「自分らしさ」

三和一善


樋口亜希世界へ羽ばたこうとする起業家への支援を行い、自らも長年の経営ノウハウを生かし、投資家として国内外の企業を支援する美和一善さんにお話を伺いました!

 

社長という職業の攻め時と引き時

 

三和一善

—今、どんなお仕事されていらっしゃるんですか?
システム会社、コンサルティング会社、あとは、マカオでNGO活動をしています。基本的には、この3本柱です。父親が司法書士だったので、法務関係のコンサルティング会社を経営する傍ら、沖縄にあるシステム会社を支援し、エンジェル的な立場で投資もしています。マカオでのNGOは、想いのある若者へきっかけ作りをしたいと思い、始めました。ファンドを集めて出資したり、マカオ大学で講演させてもらったりと、活動範囲はどんどん広がってきています。

 

—過去のお仕事を教えていただけますでしょうか?

先ほどの沖縄のシステム会社とは別に、かつては自分でもシステム会社を25年経営していました。社員50人からスタートして、買収を繰り返して、最終的に正社員600名程の会社になりました。時代や環境はどんどん変わっていくし、新しい技術が入ってくる。この次のステージをどう切り開いていくのか、すごく悩みました。社長という職業は、自分の引き時を決めるのがすごく難しいんです。会社を上場させた方がいいのか、どうするべきなのか。上場も準備していたんですが、ストップをかけ、最終的に、会社を売却することにしました。

 

安定は望まない方がいい

三和一善

—三和さんがキャリアを選ぶ際の選択軸は何でしたか?

何か自分の足跡残したいという想いが一番強かったと思います。胸を張って、自分がやってきたことを子供や次世代に言えるような何かをしたいですね。要は、自分が好きなことをやっていたいんです。嫌な人と仕事したくないし(笑)、それが自分の性にあっていると思っています。

三和一善結構、会社に入ると、安定だと思っている人が多いと思うんです。安定感は望まない方がいい。自分のしたいことが第一にあって、会社は、それに対してどのくらいサポートできるかなんです。会社に何とかしてほしい、と言われても、会社はどうにもできないんですよ。

 

—事業をされる中で、何が一番難しかったですか?

それはもう色々あります(笑)会社が小さい時は好きなこと言って、好きなことしていたらいいんですけど、ある程度の規模になってくると、決定しなければいけない場面がものすごく増えるんです。どこに軸をおいて決定していけばいいのか、本当に迷いました。自分の立場もあるし、社員のこと、その家族のこと。自分が0から1を生み出せる人なのか、1から100を作るのが得意なのか。

 

人生の大掃除をするタイミング

—三和さんは、どちらですか?

まあ、私はどちらでもないんですが(笑)地方で1000人近い社員を抱えた会社のトップをやっていると、結構自分の立場を見誤る人が多くなるんですよ。自分のことを偉いと思ってしまう。でも、東京に行くとそんなの大したことないんですよね。なので、自分の立ち位置が分からなくなるんです。私もそれで、1年程悩みました。その時、ふと、この先の人生、どう生きていこうかと考えたんです。それまでは、そういうことをほとんど考えずに生きてきてしまったので、「幸せの定義」について、とても悩まされました。その時期が、私にとっては、一番大変な時期だったと思います。

三和一善

—事業をされていて、得た一番大きなものはなんですか?

一番良かったのは、「自分はどう生きていきたいのか」ということを立ち止まって考えられたことです。経営側は、会社が明日潰れてもおかしくないという覚悟で、経営しています。経営者は、心配していることが仕事なんです(笑)借金をしてもいないのに、資金繰りを心配したり、私の会社は無借金だったんですが、それでも常に何かを心配していましたね。

 三和一善

—三和さんのターニングポイントはいつでしょうか?

やはり、仕事に区切りをつけた時ですね。その時に、アメリカの永住権を取ろうと思ったんです。これからは、自分がしたいことをちゃんとしていこうと思いました。人生って、多分そういうタイミングが何度かあると思うんです。大掃除というか、区切りをつける時が。

三和一善 

—三和さんのアイデンティティーを形成する要素は何だと思いますか?

父親の考え方には、すごく影響されていると思います。私は父からずっと「こだわるな」と言われて育ちました。「こだわって、こだわって、しがみつくな」と。「苦しいんだったら、貧乏でも好きなことやっていけばいいじゃないか」というのが、父親の考え方でした。まあ、本人は法律家だったので、自由気ままに人生送ってきたタイプじゃないのですが…(笑)

 

三和一善

—それなのに、お父様はなぜそのような考え方をされたんでしょう?

私の父は若い頃、結核になり、20代のほとんどを寝込んで過ごしたそうなんです。当時は、一度結核になるともう治らないと言われていたほどの重たい病気で、それはもう深刻なものでした。20代の自分の一番いい時期を台無しにしてしまったという想いがあったからか、好きなことをしなさい、という考え方を持っていたんだと思います。

 

色んな小さなコミュニティーを大切に

 

—三和さんの目指す世界はどんな世界ですか?

私が今になって思うことは、最終的に、人の幸せは小さなコミュニティーから生まれるものだと思うんです。なので、私は、色んな小さなコミュニティーを大事にしていきたいと思っています。若い頃は、何十億稼ぐのかが成功の定義でしたが、今はそれが成功の定義だと思うようになりました。私は、30歳の頃からずっと50になったらアメリカに移住しようと考えており、すでにアメリカの永住権を取得しているので、来年か再来年、カルフォルニア移住をしようと思っています。

 

—若い頃、思い描いていた人生プランの通りなんですね!!

移住という意味では、そうですね。これからは、自分で体験し、好きな場所で、好きな人達と生きられる。そういう生き方をしていきたいなと思っています。

 

 三和一善

<三和 一善/Kazuyoshi Miwa

米国で大学を卒業後、システム開発会社を経て、現在、士業事務所特化型支援、法務コンサルティングのランドマーク・パートナーズの経営、法務事務所ランドマーク合同事務所の運営と、技術者育成と雇用を一貫させたモデルを持つシステム開発会社のCyou-tecの経営に関わる。また、マカオを拠点とした政府公認NGOのKidsopp International Associationの代表を務め、海外の大学や教育機関とコラボし、ワークショップや講演を行う。世界へ羽ばたこうとする起業家への支援を行い、自らも投資家として国内外の企業を支援している。

1989年生まれ。北京大学国際関係学部卒業。株式会社Selan代表。インタビューサイト "belong" を運営。