【奥田祥弘】元自衛官が語る「人の為に命をかける」ということ

奥田祥弘

樋口亜希

今回は、元自衛官の奥田さんにインタビューさせていただきました。「命をかける」ということについて、奥田さんのお考えを伺いました。


 「訓練の時は実戦のように」「実戦の時に訓練のように」

 

今までのお仕事を教えていただけますでしょうか?

現在は、明治神宮内にある武道場の至誠館というところで働いています。以前は、自衛官をしており、除隊後は、警備や調査のような仕事をする傍らゼロレンジコンバットというもののインストラクターをしていました。

自衛官の入隊試験って、どんな試験なんですか?

学科と身体検査、面接です。

 

身体検査って体力試験ですか?ものすごく厳しい体力テストがありそうなイメージですが…(笑)

体力試験はないですね。身体検査は、健康かどうかのチェックだけです。運動は出来なくても入隊できて、自衛隊に入るといつの間にか一端の隊員になります。

奥田祥弘

自衛官として、大変だったことや難しかったことはありますか?

訓練は厳しい事も当然多かったですし、難しい訓練も多くありました。しかし、そういったことは日常と言えるような環境でしたので、特筆するほどのではないような気がします。

あえて言えば、実戦がなかったことが大変だったかもしれませんね。武道の稽古もそうですが、実戦じゃない時に、いかに緊張感を持って、訓練するかということなんです。「訓練の時は実戦のように」「実戦の時に訓練のように」というのが難しかったかもしれません。

 

奥田祥弘

命を懸けるということ

 

これ、すごく気になっていたんですが、死ぬのは怖くないんですか…?

どうでしょうね。でも、その人が自分自身の為に生きたらきっと死ぬのは怖いかもしれません。死んだらその人はそこで終わりですから。でも、自分の命以上にその人にとって意義のあるものの為に生きていれば、後は命をかける決断をするだけだと思います。

まぁでも、当時は「いけ!と言われたら行くもんだ。そんなものだ」と思っていました。それが国のためであるし、たとえ死んだとしても、その意思は仲間が継いでくれると信じていましたしね。今はようやく、自分自身でいく時を決めたら、いくからには壮絶に使いきってやろうなんて事も思うようになりました(笑)

すごい…。

あと自衛官は、入隊時に必ず服務の宣誓をするんですよ。 

服務の宣誓?

簡単に言うと「我が国の為に、危険を顧みず、身を持って責務を完遂します」という宣誓です。私は当時、誰に言われるでもなく、毎年正月前に新しい遺書書いていましたね。封筒に少しだけ伸ばした髪や爪をその時に切って一緒に入れたりもしていました。

遺書を書く…考えたこともないです。

でも、毎年遺書を書いていると、いつも同じ感謝の言葉ばかりになってしまって(笑)まあ、遺書に書かなければいけないほど、やり残したことがないようにしたいなと。結局最期は決断するだけですから、そういう意味では腹を決めるのに良い経験だったとは思います。

奥田祥弘

そのお仕事をされていて、得た一番大きなものはなんですか?

仲間ですかね。やはり思いを同じくできる仲間との縁、それとなんと言っても師と仰ぐ方とのご縁だと思います。それまでは、やはり私は結構な変わり者だったようで、人と話をしてもどこか違うなと感じていましたが、それを同じベクトルの思いを持ち、共感できる仲間を得たことは替え難いものだと思います。

師との出会いは、自衛官時代の最後に勤務していた部隊でしたが、そこで本当に戦うという事、命を懸けるということについて目の当たりにし、大きな衝撃を受けたことを覚えています。 

 

いまだに抜けない習慣などはありますか?

抜けないということではありませんが、今でも気にしてしまうのは、建物に入ると、間取りを見たり、入り口の数を自然と数えたりしていますね。駅等でも、人の動きが結構気になっちゃいます。

奥田祥弘

えー!!確かに、今日もカフェの裏口から入っていらっしゃいましたよね。

なんとなく目についたので、一応裏口も見ておこうと思って。

そうだったんですね!(笑)

あと、さっき前の席にいた人が、後ろの席に移ったじゃないですか。そういう時に、「何で移ったんだろう」とか、考えちゃいます。

 

私は、前の席に人が座っていたことも気づきませんでした!!(笑)観察力すごいですね!

でも、私だけじゃなくて、仲間内で食事に行っても、みんな結構細かく見ているんですよ。「さっきあそこにいた誰々、ああだったよね」とすごく細かいことを説明しても、みんな「そうそう」って言うんですよ。だからつい普段もそのペースで話してしまって(笑)

奥田祥弘

 

またまた勝手な想像ですが、自衛隊や軍人の方って、オフの日もトレーニングしたり、すごくきっちりしてそうです(笑)

意外と普通ですよ(笑)運動が日課になって居る人は多いですけど、休みの日はゴロゴロしていたりもしますし、街に遊びに行ったり、本を読んだりする事もあります。私は休日にはサーフィンしたり、山に行ったりもしていました。

 

今は、どんなお仕事内容なんですか?

今は、明治神宮内にある武道場の至誠館というところで働いています。至誠館は明治神宮のご祭神の大御心のもとに、日本武道を通じて心身の鍛錬を行い、国民の健全なる精神の作興に寄与することを目的に開設された道場で、弓道科、柔道科、剣道科と合気道と剣術を合わせて稽古している武道研修科という四つの科があり、老若男女問わず多くの方が錬成をなさっていて、そこで私は様々な企画の運営を行ったり、武道研修科の錬成における助手として稽古を行ったりしています。

 

この世の為に、命を使い切りたい

 

奥田さんの1番の原動力は何でしょう?

私が今ここにいる事への感謝と、それを少しでも良くして次の世代に繋げるという責任感と言うか、当事者意識なのかもしれません。私がここにこうして居られるのは、今まで知り合った方もそうですし、父母、祖父母を始めとする多くの先達達のお陰です。それは数代前のご先祖様が居なくても私はここに居ませんし、更にたどると、日本が出来てから、地球が出来てから、宇宙が出来てから。その中で何かが違えば私はここに居ないかもしれません。そういった事への感謝と同様に、私の故郷を、私の国を、私に関わる全ての世界を少しでも良くして次の世代に繋げたいという思いです。

奥田さんのターニングポイントはいつですか?

しいて挙げるとしたら、自衛隊を除隊した時ですかね。出来事としては些細なものですが、その時のご縁は重用な分岐点でした。 

奥田祥弘

 

現在の奥田さんに大きく影響している過去のご経験は何ですか?

やはり人とのご縁は大きいと思います。特に師との出会い、現在の上司との出会いは私の生き方を定める大きな出来事でした。それと、やはり大きく意識せざるを得ないのは人との別れですね。彼らが大事にしていたものや想いを忘れないようにしたいと思っています。

 

奥田さんの目指す世界はどんな世界ですか?

みんなが幸せになる世界です。サーフィンの時に、波を待ちながらぽつーんと待って居る時や、山に入っている時なんかに、自分は地球の一員なんだなという実感が湧いてくるんですよ。

自分の為だけではなくこの世の為に何かしたいなと思っています。個人の利益を追求するあまりに誰かから搾取するのではなく、世界が一つの家族のようにお互いを思いあう世界になるために、そう大きな事は出来ないかもしれないけれど、何か一つにでも微力ながらこの命を使い切りたいと思っています。

 

奥田祥弘<奥田祥弘/Yoshihiro Okuda>
1984年生まれ、千葉県出身 元自衛官、除隊後は警備業、調査業等を行う(元日本ボディーガード協会会員) また、ゼロレンジコンバットインストラクターとしても活動し自衛官、警察官等にも指導を行う。 現在は、明治神宮武道場至誠館の教務職員として企画の運営に携わりながら、武道の指導助手等を行っている。

 

1989年生まれ。北京大学国際関係学部卒業。株式会社Selan代表。インタビューサイト "belong" を運営。