【バスメレ河野力樹】グローバル時代の申し子!日本とインドネシアの架け橋に

riki kono basmeleh樋口亜希
今回は、最近、インドネシアでスタートアップを起こされた、グローバル時代の申し子・リッキーさんを取材させていただきました!



日本
9年、インドネシア8年、シンガポール3年、オーストラリア5
 

—リッキーさんは、今まで、色んな国に住まれていたと聞きました!

日本で生まれ、小学校1、2年生の時にインドネシアに行き、一度日本に戻ってきました。その後、小学校の終わりにまたインドネシアに行き、高校はシンガポール、大学は、オーストラリアで卒業しました。

riki kono basmeleh

—小さい頃から、大移動ですね!(笑)

はい(笑)日本9年、インドネシア8年、シンガポール3年、オーストラリア5年です。いい意味で、出会いと別れがいっぱいありました。なので、新しい環境に適応する能力はだいぶ培われたと思います。

—確かに。親離れも早かったんですね。

親元にいたのは14歳までなのですが、若いうちに自立しなければならない環境に置いてもらえたのは、すごく良かったと思っています。

 

物心ついたときから「世界」がベースにあった

 

—今のリッキーさんに大きく影響している、過去のご経験や出来事はありますか?

母親の影響が大きいですね。日本とインドネシアのハーフとして生まれ、幼少期は日本の学校に通っていたので、日本人である母親からたくさんの影響を受けました。4歳の時、ルアンダで紛争が起こったことを母が教えてくれたんです。それに、大きな衝撃を受けた僕は、授業中「国旗を書きましょう」と言われた時に、みんなが日本やアメリカの国旗を書いている中で、ルアンダの国旗を書いたんです(笑)ハーフとして生まれたことで、物心ついたときから「世界」がベースにあった気がします。

riki kono basmeleh

 —ルアンダの国旗って、なかなか目にする機会ないですよね(笑)ハーフだからこその思い出って何かありますか?

そうですね。良くも悪くも「リッキーは違う」と思われていたと思います。目立ちたがり屋だったので、常に、前に出て行くような感じでした。でも、僕、根がシャイなんです。なので、そう見えないように振る舞っています(笑)

—意外です!(笑)

でも、どこに行っても、「自分は人と違う」存在だったので、それに対して、良くない感情を抱く時期もありましたよ。

—お母様との思い出で、印象的な出来事は何かありますか?

小さい頃、母親に、「もし誰かに『外人』って言われて腹が立った時、相手が年下だったら、きちんと教えてあげなさい。もし年上だったら、殴り掛かってもいいわよ」と言われたことがあります。実際、僕は周りの環境にすごく恵まれていたので、そういうことはなかったですが(笑)

—お母様、かっこいいですね!

母は、常に、僕を子供としてじゃなく、対等な人間として見てくれていたと思います。

 

お土産事業で、日本とインドネシアの架け橋に

 

—最近、会社を設立されたということですが、どんな事業を始められたんですか?

食品のお土産事業を立ち上げました。日本の「いいもの」をインドネシアに持っていってマーケティング・プロモーションをしたり、自分たちでブランドも持ちたいと思っているので、製造、企画、流通、全てに関わっていこうと思っています。
riki kono basmeleh

—へえ!!面白いですね!

この事業を始めようと思ったきっかけは何でしょうか?

最初は「人材ビジネスをしようか」とか、「小売り業をしようか」とか、色々考えたんですが、どれも、しっくりこなかったんです。インドネシアって、島国だから、移動手段として、飛行機をよく使うんですね。なので、空港に行く機会が多い。そこから、「空港でお店開いたら、いいんじゃないか」と思ったんです。

—ほお。なるほど!なんだか、スタートアップのサクセスストーリーに出てきそうなお話ですね!(笑)

お土産って、スーパー等で何かを買う時とは違って、人に「想いを伝える」ためにあるので、すごく意義のある、幸せなものだと思うんです。

riki kono basmeleh

—確かに!お土産って聞くと、海外からの観光客が帰りに買って帰るというイメージですが、地元のものじゃなくてもいいんですか?

メインターゲットは、海外からの観光客ではなく、ローカルの人々なんです。お土産って、別に地元のものじゃなくてもいいんですよ。例えば、ビアードパパのシュークリームが今、インドネシアですごく売れていて、みんなお土産として買っていくんです。東京バナナもそうじゃないですか(笑)

—なるほど、そうですね。

インドネシアでは、まだまだマーケティングがきちんとできていなくて、伝えることが下手なんです。宣伝と言えば、「とりあえず、おいでよ!」みたいな(笑)

riki kono basmeleh

—へ〜!そうなんですね。

僕、もし「インドネシアで今すぐできそうなビジネスを10個考えろ」と言われたら、すぐに挙げられる自信があります(笑)それほど、インドネシアはビジネスチャンスがまだまだあるし、人件費も安いので、いろんなことにチャレンジできる環境だと思います。僕自身、やりたいことがありすぎます!

−いいですね!リッキーさんとお話ししてると、私も元気になります!

僕、どちらかというと、好奇心旺盛で、色んなことに興味持つ方なんですが、そんな中でも絶対ブレなかったのが、「インドネシアと日本のアイデンティティー」を持って生まれた身として、両国の架け橋になりたいということでした。

—素敵ですね。

なので、僕、Whatにはあまり興味がないんです。結構そこはオープンマインドで考えていて、面白そうなものがあったら、試してみようと思っています。でも、Why=何のためにやるのか、は常に意識しています。

 

スタートアップという自分との約束

 

riki kono basmeleh—スタートアップを立ち上げる上で、大変だったことや難しかったことはありますか?

自分で、「これをやります」って声に出して言うことですね。それまでは、「え、みんなでやるんじゃないの?」って思っていて、今思うと、当事者意識が欠けていたんです。でも、それを口にしてからは、自分で地道に調べたり、「僕が責任持って、この事業をやるんだ」という覚悟が生まれました。でも、そこに自分の気持ちを持っていくのは大変でしたね。

—覚悟。それって一番大事なことかもしれませんね。

そうですね。おかげで、今は、最高のチームができました。彼らに最高のサポートをしてもらっているし、分からないことは、すぐ誰かに聞ける環境ができたことをとても嬉しく思います。

 

ハーフというアイデンティティー

 

—リッキーさんのターニングポイントはありますか?

2011年の東日本大震災です。それまでは、自分のことをインドネシア人だとか日本人だとか深く考えたことがなかったんです。

当時、僕はオーストラリアで大学に通っていたんですが、地震が起こった直後に、直接的な関係のない、学内の起業家コミュニティーが、すぐに行動を起こしたんです。チャリティープロジェクトとして、すぐに250万円が集まり、追悼イベントも行われました。多分、世界で一番早く行った組織なんじゃないかと思います。

その時、自分も日本のために何かしたいと強く思い、自分のアイデンティティーに目覚めたんです。なんだか、今まで土の下にあったものがふっと見えた瞬間でした。

それと同時に、この時、起業家はすごいと思いました。行動が早いし、ネットワークを持っていて、世の中に大きなムーブメントを起こせる存在なんだということを身をもって実感し、衝撃を受けました。
riki kono basmeleh

—素敵なお話ですね。りっきーさんを突き動かしているものは何ですか?

恩返しですね。親、家族、友達、またまたすれ違って会釈した人、そして、人のみならず、国、環境、自分のアイデンティティーや教育にも、何かを還元したいなと思っています。

 

自分の境遇に対して、どうベストを尽くすか

 

—色んな国に住まれた経験があるリッキーさんですが、リッキーさんのアイデンティティーを形成する要素は、何だと思いますか?

3つあると思っています。根っこには、日本とインドネシアのハーフというアイデンティティー。そして、母親が、僕に対していつも対等に接してくれた、ということがベースにあると思います。そして、3つ目が、育った環境です。自分の境遇や血統等は変えられないので、そこに対して、どうベストを尽すかどうかが重要だと思います。

 riki kono basmeleh

—なるほど。今までお伺いした内容が全部繋がります。

正直、僕は「ハーフ」という言い方には疑問を抱いています(笑)日本は、基本的に単一民族なので、こういった言葉が生まれたんだと思うんですが、「ハーフ」っていう言葉があるのは、世界中を見ても多分日本くらいで、他の国だと皆さんほとんど混血ですよね。僕は、ピュアな血ってとってもかっこいいと思いますけど!

—今後の目標を是非とも教えてほしいです!

生涯かけて達成したいことは、「インドネシアと日本と言ったら、コイツだろ」と言ってもらえるようになることです。そして、自分がそうなった時は、後に、そうなる人間をいっぱい作りたいですね。常に日本とインドネシアのこと考えて生きてきたので、両国の人々がお互いをもっと身近に感じてくれるよう、色んなことに挑戦していきたいです!

 

riki kono basmeleh<バスメレ河野 力樹/Riki Kono Basmeleh>
Omiyage inc Indonesia CEO. 1989年生まれ。長野とインドネシア・スラバヤのハーフ。豪州ニューサウスウェールズ大学、国際ビジネス専攻卒。今まで、日本9年、インドネシア8年、シンガポール3年、豪州5年滞在。訪日外国人向けサイトMATCHAの立ち上げ、企業のインドネシア進出支援・セミナー、日系イベントのサポート等を経験。2015年始めにお土産・ギフト向けの食品製造事業を立ち上げる。現在は、インドネシアと日本の架け橋になる べく活動。趣味は、美味しいもの探し、ゴルフ、サッカー、音楽(雑食です)。

 Photographer  吁九志

1989年生まれ。北京大学国際関係学部卒業。株式会社Selan代表。インタビューサイト "belong" を運営。